着地しない会話

認知症老人の妄想話を聞くにはかなりの根気と苦痛が伴います。

先日、オヤジに生活費を渡しに行った際、唐突に、

「オレが小学校3年生くらいの頃だったかな」

から話が始まりました。

今までの被害妄想的な話では無いと思い、テレビのオリンピック中継を見ながら適当に相槌を打っていました。

30分くらい経った頃からオヤジの話がどうやら兄への恨みつらみに着地しそうな感じになってきました(先述「被害妄想」参照)。

普段だったら「その話は聞き飽きた」と言って即帰るのですが、テレビのオリンピックが気になり、その時は更に聞き流すことにしました。

ところが、その後30分経っても話が進まないどころかウォーキングの話になっていて、その後は私が自治会の役員をやっていたことや、物置は売らないでとっておくべきだの話に(笑)

半分以上、いやほとんどオリンピック中継に意識があったので、この時はなんとか助かりましたが、会えばこんな不毛な会話で、時には被害妄想の話を一方的に聞かされると、こちらまでおかしくなります。

着地しない話でも気の済むまで聞くべきなのか?

妄想と分かっていても最後まで話を聞くべきなのか?

犬の躾のようにダメってことを教えた方がよいのか?

包括支援センターの方は別の妄想話の途中で、

「あっ、そういえば◯◯の件どうでした?」

って言ってむりやり話を逸らしましたが、オヤジが睨みつけたのを見てしまいました。

正解は何ですか?

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