当ブログでは、これまでにも何度か『DIE WITH ZERO(ダイ・ウィズ・ゼロ)』を取り上げてきました。
しかし、この本に対して否定的な意見があることを知っています。
「死ぬときにゼロにするなんて無理だろう」
「老後のお金がなくなったらどうするの?」
「そんなにお金を使って思い出を作る必要があるの?」
たしかに、そう思うのもよく分かります。
そこで今回は、『DIE WITH ZERO』に対する代表的な否定的意見を取り上げ、本の内容と照らし合わせながら考えてみたいと思います。
目的は『DIE WITH ZERO』を否定することでも、無理に肯定することでもありません。
「著者の本当の主張は何なのか?」
これを考えることで、『DIE WITH ZERO』をより深く理解するきっかけになればと思っています。
※注意:この記事には『DIE WITH ZERO』の内容に関するネタバレがあります。まだ読んでいない方はご注意ください。
否定的意見①「想定した死亡日に元気だったらどうするの?」
「DIE WITH ZERO」=「ゼロで死ね」と聞くと、こんな疑問が出てきます。
「自分がいつ死ぬか分からないのに、どうやってゼロにするの?」
例えば平均寿命などを参考にして「このあたりで人生が終わるだろう」と想定したとして、その日を迎えても元気ハツラツだったらどうするのでしょうか。
この疑問はもっともだと思います。
ただ、本書を読み返してみると、著者のビル・パーキンス氏が本当に言いたいことは、単純な「死ぬ日に資産をゼロにしろ」という話ではないようです。
「ゼロで死ぬ」は、あくまでも「目指すべき」指標
本書の「ルール1『無駄に金を貯めこんでいる、そこのあなたへ』」では、著者がクリニックで「生活資金が足りなくなる不安はないか?」と質問され、
「ゼロで死ぬことを目指すべきだと考えている」
と答えています。
それを聞いた医師が本にすることを強く勧めたことが、『DIE WITH ZERO』を書くきっかけになったとされています。
ここで重要なのは、「ゼロで死ぬ」ではなく「ゼロで死ぬことを目指す」と言っていることです。
また、この本は「今しかできない経験のために使えるお金を、無駄に貯め込んでいる人」に向けた本だとも書かれています。
問題なのは「必要以上に貯めること」と「使うタイミングが遅すぎること」
「ルール3『老後のための貯蓄は、ほとんど使わずに終わる』」では、著者は、
「必要以上に貯め込むことや、金を使うタイミングが遅過ぎるのが問題である」
としています。
さらに「ゼロで死ぬは効率の極み」という項では、
「死ぬ前にゼロに到達すべきではない。死ぬ直前にひもじい思いをしたい人などいない。だが、せっかく貴重な時間と労力を費やして稼いだ金を、生きているうちにできる限り使い切ってほしい」
と語っています。
つまり、死ぬ直前に本当に資産をゼロにすることが目的ではありません。
「最悪のシナリオ」を避けることも前提
さらに「ルール8『老後に必要な金を確認する魔法の計算式』」では、
「最悪のシナリオ(死ぬ前に金がなくなること)を避けることを念頭に算出する」
としています。
著者が紹介している計算式は、資産から得られる物価上昇率以上の利息を3%程度と仮定し、
「死ぬまでに必要な金」=1年間の生活費 × 人生の残りの年数 × 0.7
というものです。
ただし、この計算式の「人生の残りの年数」については、具体的な定義がされているわけではありません。
その代わり、想定以上に長生きして資金が底を突いてしまう不安がある場合の対策として、次のような方法を挙げています。
- 自宅を保有していれば、売却して小さな家に住み替えることで資産を作る。
- 自宅を保有していれば、それを担保にして毎月一定額の融資を受ける。
- 資産を売却して長寿年金を購入し、生きている限り年金を受け取る。
こうして見てみると、著者が言いたいことは、どうやら「死ぬ直前に資産をゼロにする」ことではないようです。
本当に言いたいのは「お金を使うタイミング」
著者の主張を私なりにまとめると、
「死ぬときに残った資産は、体験し損ねた経験の量でもある」
ということなのだと思います。
せっかくお金を持っているのなら、喜びや経験を先送りせず、最も有効なタイミングでお金を使うことを目指そうという考え方です。
つまり、
「ゼロで死ね」ではなく、「使うべきお金を、使うべき時に使おう」
と考えたほうが、本書の趣旨に近いのではないでしょうか。
ちなみに「人生の残りの年数」については、自分の推定死亡日までの日数をカウントダウンするアプリ「Final Countdown」を参考にしてみては、と著者は述べています。
否定的意見②「日本の年金制度とは矛盾しないの?」
日本には国民皆年金制度があります。
そのため、
「日本では年金を受け取れるのだから、そもそも完全なゼロにはならないのでは?」
という意見があります。
これは確かに、アメリカ人である著者と日本の読者との大きな違いです。
日本では「不足する生活費」を考えればいい
『DIE WITH ZERO』はアメリカの制度や生活環境を前提に書かれています。
したがって、日本の読者は日本の社会保障制度に置き換えて考える必要があります。
例えば、年間の生活費が300万円で、年金収入が年間240万円なら、年間60万円が不足します。
この場合は、単純に考えれば、
「年間の不足額60万円 × 必要な年数」
という考え方ができます。
逆に、年金だけで生活費を十分にまかなえるのであれば、老後の生活費については「資産を取り崩さなくてもよい」という考え方もできます。
そう考えると、年金制度がある日本では、「DIE WITH ZERO」の考え方を実践する際のハードルは、アメリカなどと比べて少し下がるのかもしれません。
否定的意見③「思い出という配当には、そんなにお金がかからないのでは?」
『DIE WITH ZERO』では「思い出」を重要な価値として扱っています。
しかし、著者が紹介する45歳の誕生日パーティーのエピソードは、一般的な庶民の感覚からすると、かなり豪華です。
そこで、
「贅沢な体験=良い思い出、ということではないのでは?」
という批判があります。
これは私も同感です(笑)。
思い出は、ある意味でプライスレスだと思います。
お金を使うこと自体が目的になってはいけない
例えば3,000万円の資産があったとします。
「人生の喜びを最大化するために、この3,000万円を全部思い出作りに使おう!」
と考えるのは、少し違う気がします。
その時に「これをやってみたい」「ここへ行ってみたい」「家族とこんな時間を過ごしたい」という気持ちがあって、それを実現するためにお金を使う。
これが本来の順番ではないでしょうか。
つまり、「お金を使うこと」ではなく「人生を楽しむこと」が目的なのです。
実際、多くの思い出作りには、それほど大きなお金は必要ありません。
家族と食事をしたり、孫と遊んだり、趣味を楽しんだり、近場へ出かけたりするだけでも、十分に思い出になります。
「思い出の配当」を得るために、必ずしも大金を使う必要はないのです。
それでも「生前贈与」ならお金を使い切れる?
一方で、著者は「ルール5『死んでから与えるのは、遅すぎる』」で、相続ではなく生前贈与についても述べています。
つまり、自分が死んでから財産を渡すのではなく、受け取った人がその財産を最大限に活用できるタイミングで与えるという考え方です。
そう考えると、例えば3,000万円の資産があっても、本人が全部使う必要はありません。
自分自身が、
- 各世代で「今しかできないこと」に積極的に行動する
- 体験したいことを我慢して、ひたすら貯蓄に励まない
- それでも余りそうなら、生前贈与を考える
という方法もあります。
こう考えれば、意外と資産を「使い切る」ことはできるのかもしれません。
とはいえ、ここは私自身もしっくりこない、少しモヤモヤが残る部分です。
否定的意見④「お金が足りるという安心感も大切では?」
人生の後半では、
「まだお金に余裕がある」
「いざというときにも大丈夫」
という安心感も、とても大切だと思います。
「まだまだゼロではない」という安心感を持って生きることも、人生の幸福の一部ではないでしょうか。
「効率」だけでは人生は語れない
『DIE WITH ZERO』では、「効率」という言葉がよく登場します。
しかし、人生後半の資産管理については、必ずしも「効率」だけでは割り切れない部分があります。
特に、私たち日本人には、
「お金がなくなることへの不安」
が強いようにも感じます。
庶民の私と、大きな資産を持つ著者との違いなのか。
それとも文化や社会制度の違いなのか。
このあたりは、なかなか難しいところです。
「思い出の配当」には「安心感」も必要
私は、人生後半における「思い出の配当」は、予定より長生きしても、「お金が足りる」という安心感があってこそ楽しめると思っています。
だからといって、「ゼロで死ね」を完全に否定する必要もありません。
日本には年金制度があるので、老後の生活費のすべてを自分の資産だけで準備する必要はありません。
その意味では、年金を含めて自分の収入と支出を考えれば、「ゼロ」に対する不安は多少軽減できます。
ただし、安心感まで捨てる必要はないと思います。
「DIE WITH ZERO」と高配当株投資は相性がいい?
当ブログでは以前、「DIE WITH ZEROと高配当株投資は相性がいい」という記事を書きました。
これは、まさにこの「安心感」の部分です。
資産をすべて取り崩していくのではなく、配当金などの定期的な収入を得ながら、必要に応じて資産を使っていく。
年金+配当金という収入の柱があれば、「使っても大丈夫」という安心感を持ちながら、人生を楽しむことができます。
ちなみに著者自身も「ルール4『実践しよう』」で、死ぬ前に資産が尽きてしまうことが不安なら、生きている限り一定の収入が保証される長寿年金などの金融商品に目を向けてみようと述べています。
つまり、著者も「何が何でも資産をゼロにしろ」と言っているわけではありません。
なお、長寿年金(長寿生存保険・長寿支援保険)は、死亡保障や受取前の解約返戻金を抑えることで、長生きしたときの受取額を大きくした「長生きリスク」に特化した個人年金保険の一種です。
否定的意見⑤「そもそも、誰が言うとんねん!」
わかります(笑)。
これは私も少し思ってしまいます。
著者のビル・パーキンス氏は、かなりの資産を持っている人物として知られています。
その象徴的なエピソードが、45歳の誕生日パーティーです。
45歳の誕生日パーティーがすごすぎる
著者は45歳の誕生日に、家族や友人たちをカリブ海の島へ招待しました。
そして、
- ホテル1棟を貸し切る
- 不足分として近くのホテルも確保する
- 招待客全員の飛行機代を負担する
- 招待客全員の島での滞在費(1週間分)を負担する
- サプライズゲストとして有名歌手によるプライベートコンサートを開催する
という、とんでもなく豪華な誕生日パーティーを開いています。しかも1週間!
著者自身も「とてつもない金額」であり、「さすがに自問自答が必要だった」という趣旨のことを書いています。
これを一般的な日本人が読んだら、
「いやいや、そもそも我々とは生活レベルが違うでしょう!」
と思ってしまうのも無理はありません。
「死ぬ直前の1億円はほぼゼロ」と言われているような……
著者の主張を極端に受け取ると、
「死ぬ直前に残った1億円は、ほぼゼロと同じ」
と言われているように感じてしまいます。
しかし、一般的な生活をしている私たちにとって、1億円は決して「ほぼゼロ」ではありません。
むしろ、老後の安心を支える大切な資産です。
だからこそ、『DIE WITH ZERO』は著者の生活レベルをそのまま真似する本ではなく、考え方の部分を自分の生活に合わせて取り入れる本として読むのがよいのだと思います。
『DIE WITH ZERO』の本当のメッセージとは?
ここまで5つの否定的な意見について考えてきました。
私自身も「これはどうなんだろう?」と思う部分はあります。
それでも本書を読み返してみると、著者が本当に伝えたいことは「死ぬ日に資産をゼロにする」という単純な話ではないように感じます。
喜びを先送りしていないですか?
老後の不安から、今しかできないことを我慢して、ひたすら貯蓄に励んでいないか。
若いときにしかできないこと、健康なときにしかできないことを、後回しにしていないか。
これが本書の大きなテーマの一つだと思います。
お金を使わないことが、時間や健康の犠牲になることもある
お金は、ただ貯めるためだけのものではありません。
お金を稼ぐためには、時間や労力、場合によっては健康を使っています。
その結果として得たお金を使わずに人生を終えてしまえば、稼ぐために費やした時間や健康を無駄にしてしまう可能性がある。
著者が伝えたいのは、そんな問題提起なのではないでしょうか。
残った資産は「体験し損ねた人生」なのかもしれない
本書では、死ぬときに残ったお金を、単なる「残った財産」としてではなく、
「体験し損ねた経験の量」
と捉える考え方が出てきます。
これは、なかなか考えさせられる言葉です。
もちろん、すべての資産を使い切る必要はありません。
しかし、必要以上にお金を貯め込んでしまった結果、やりたかったことを我慢して人生を終えてしまうのなら、それもまたもったいない。
人生の目的は「資産額を最大化すること」ではない
『DIE WITH ZERO』が目指しているのは、資産を無計画に使い切ることではありません。
人生をより豊かにするために、お金を最も有効なタイミングで使う。
つまり、資産額そのものを最大化するのではなく、人生そのものを最適化するという考え方なのだと思います。
最強の投資先は「経験」
著者は「経験」に大きな価値を置いています。
経験は、その瞬間だけで終わるものではありません。
楽しかった旅行、家族との食事、友人との時間、趣味に夢中になった時間。
そうした経験は「思い出」となって、その後の人生を何度も楽しませてくれます。
本書でいう「記憶の配当」です。
金融資産から配当金を受け取るように、人生の経験からも「思い出」という配当を受け取る。
これは、お金では買えない人生の資産なのかもしれません。
まとめ:「ゼロで死ね」を意識しすぎない
今回、『DIE WITH ZERO』に対する否定的な意見をあらためて考えてみました。
私なりにまとめると、著者のビル・パーキンス氏が本当に言いたいことは、
「死ぬ瞬間に資産をゼロにしなさい」
ということではないと思います。
むしろ、
- 喜びを先送りしていませんか?
老後の不安から、今しかできないことを我慢して貯蓄に励んでいませんか? - お金を使わないことが、時間や健康の犠牲になっていませんか?
稼いだお金を使わずに死ぬことは、稼ぐために費やした時間や健康を無駄にすることにもなります。 - 残った資産は「体験し損ねた人生」なのかもしれない
死ぬときに残った資産は、自分が体験し損ねた経験の量とも考えられます。 - 目的は「人生の最適化」である
無計画に浪費するのではなく、資産を最も有効なタイミングで使うことが大切です。 - 最強の投資先は「経験」である
人生の価値は資産額だけでは決まりません。経験は記憶として残り、その後の人生を「思い出の配当」として豊かにしてくれます。
こう考えると、私は「ゼロで死ね」という言葉をあまり文字どおりに受け取らないほうがいいと思います。
大切なのは、
「お金をいくら残すか」ではなく、「お金を使って、どんな人生を送りたいのか」
ということなのではないでしょうか。
もちろん、老後の安心を失うほどお金を使う必要はありません。
年金や配当金などの収入、現在の資産、健康状態、家族構成など、自分の状況に合わせて考える必要があります。
私自身も、これからは「いくら残せるか」だけではなく、
「今のお金を、今しかできないことにどう使うか」
を少し意識していきたいと思っています。
そして、もし余ったなら……。
それはそれで、次の世代に渡せばいい。
それくらいの気持ちで、『DIE WITH ZERO』と付き合っていくのが、私にはちょうどいいようです。

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